学童スポーツで「勝つこと」ってそんなに大事なことなのだろうか?

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 勝負は勝たなければ意味がない?
プロスポーツ選手やオリンピック選手からは、「勝たなければ意味がない」「負けたら意味がない」という言葉がよく発せられます。
特に今の競争化社会では、相手に打ち勝って競争を勝ち抜いていかなければ、生きてゆけない。
確かにそれを業とする場合であれば、そういうこともいえるかもしれません。

 しかし、子どもの場合もそうなのでしょうか?
子どもは“勝ち”が大好きです。
勝った!負けた!という結果しか見えません。
ただのじゃんけんであっても、負ければ泣いて悔しがります。
もちろん、スポーツをする上では負けん気も大切な要素であるかもしれません。
しかし、勝った、負けたは他者との相対比較でしかありません。


能力主義と努力主義
能力主義的思考 : ・あの子が上手なのは元々能力が高いからだ! ・あの子は元々頭良いから!(他責)
努力主義的思考 : ・自分が上手くないのは、まだ努力が足りないからだ! ・やればできる!(自責)
相対比較は能力主義ともいえるのです。すなわち、それは他責傾向を生んでしまうのです。
あなたは、自分のお子さんにどちらの子になってもらいたいですか?
自分の周りで起こっていることは、全て自分が引き起こしているもの、ボクはそう考えたい。


外的価値観と内的価値観
外的価値とは他人からの評価を通して見える価値です。結果が得られないものは外的価値にはなり得ません(市橋)。外的価値=結果主義なのです。
一方で内的価値は、自らの内面に存在する価値観です。
外的価値は、言い換えれば、試合に勝たなければ価値が得られない。すなわち、勝つことで得る他者からの評価が自分の価値になってしまうのです。
「いくら勉強しても合格しなければ意味はない」のでしょうか?それでは、何のために勉強って行うのだろう?

 結果主義と過程主義
例えば野球で会心の当たりを打ちました。しかし、たまたま相手がいい所に守っていました。結果はアウトです。
一方で、当たりそこないの打球、たまたま野手の間に落ちました。結果はヒット。
過程主義は内容主義とも言い換えられます。内容が良いのは明らかに前者です。
結果主義では内容が軽視されがちになります。

 また外的価値観と内的価値観は「外発的動機づけ」と「内発的動機づけ」ともいわれます。
以下wikiよりの転載です。

 「外発的動機づけ」
外発的動機づけとは義務、賞罰、強制などによってもたらされる動機づけである。内発的な動機づけに基づいた行動は行動そのものが目的であるが、外発的動機づけに基づいた行動は何らかの目的を達成するためのものである。たとえばテストで高得点を取るためにする勉強や、昇給を目指して仕事を頑張る場合などがそれにあたる。強制された外発的動機づけが最も自発性が低い典型的な外発的動機づけであるが、自己の価値観や人生目標と一致している場合は自律性が高まった外発的動機づけと考えられる。外発的動機づけは内発的動機づけと両立しうるものであり、また自律性の高い外発的動機づけは内発的動機づけとほぼ同様の行動が 見られる。

 「内発的動機づけ」
内発的動機づけとは好奇心や関心によってもたらされる動機づけであり、賞罰に依存しない行動であ る。これは特に子供は知的好奇心が極めて高いために幼児期によく見られる動機づけである。たとえばある子供がTVゲームに熱中しているとき、その子供は賞罰による動機付けによってではなく、ただ単にゲームが楽しいからという内発的な動機によりそれに熱中するのである。くわえて知的好奇心だけでなく、自分で課題を設定してそれを達成しようとするような状況においては自分が中心となって自発的に思考し、問題を解決するという自律性、また解決によってもたらされ る有能感が得られ、動機づけとなり得る。一般的に内発的動機づけに基づいた行動、例えば学習は極めて効率的な学習を行い、しかも継続的に行うことができる。これを育てるためには挑戦的、選択的な状況を想定して問題解決をさせることが内発的動機づけを発展させるものと考えられる。内発的動機には感性動機、 好奇動機、操作動機、認知動機などがある。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E6%A9%9F%E3%81%A5%E3%81%91)

 要約すると、内発的動機づけは、その行為そのものを好きでやっていることであり、外発的動機づけとは、その行為そのものが好きというよりも報酬のためにやっているということであります。そして、一般的に外発的動機づけは、あまり良くないものとしてとらえられています(全てがそうではないようですが)。その理由をコーンやデシは以下のように述べています。

 ・報酬は罰になる
・報酬は人間関系を破壊する
・報酬は理由を無視する
・報酬は冒険に水を差す
・報酬は興味を損なう
・報酬は使い出したら簡単にやめられない
・報酬はそれを得るための手抜きを選ばせる
(http://cs-d.awg.co.jp/csd/common/artcl/artcl_grp?artcl_grp_code=0201051#a_article_11)

 上記の詳細は省かせていただきますが、有名な逸話として「子どもたちの悪戯をやめさせた老人の話」があります。
余生を静かに暮らしたいと思っていた老人のもとに、あるとき子どもたちがやってくるようになりました。
子どもたちは学校帰りに来るたびに、老人に悪態をついたり、悪戯をしたり、来るなといってもやってきます。
あるとき老人は、子どもたちに遊びに来てくれたら1ドルをあげるといいました。当然、子どもたちは喜んでやってきました。次に老人は、明日も着てくれたら 25セントあげるよといいました。子どもたちはそれでもいいやと思い、次の日もやってきました。そして老人はもうお金がなくなってしまったから明日は1セ ントねといいました。そうすると子どもたちは「何だよ、1セントかよ!」といい、二度と来なくなりました。
これは、子どもたちの老人をからかって いると面白いという内発的なモチベーションを、外的な報酬が阻害させたわけです。最初は老人をからかうという行為が楽しくてやっていたのが、お金(報酬) をもらうことによって、「お金をもらうためにやる」という認知に変わってしまったのです。これはアンダーマイニング現象といわれます。

 このように考えると、結果主義と外的価値観(外発的動機づけ)、能力主義には密接な関係が見て取れます。
対極的に過程主義と内的価値観(内発的動機づけ)、努力主義の関係性も親和性が高いといえるでしょう。

 そして、前者の結果主義・外的価値観(外発的動機づけ)・能力主義が良くないとされるのは弊害があるからなのです。
先ほどのアンダーマイニング現象もしかり、場合によっては勝ちたいがために子どもに無理をさせてしまう場合もあります。子どもの体は大人のものとは別物です。結果主義「勝つことが大切だ」に主眼が置かれると、優勝する以外に必ず「負け」は来る訳で、負けたときに喪失感・無力感が生じるわけです。いわゆるバーンアウトです。結果主義には勝ち続けなければ成り立たないというパラドックスがあるのです。勝つことが大切なのではなく、勝つために努力したことが大切なのです。ましてや負けが続いてくると「努力しても無駄だ」という思考回路にはまり、練習も身が入らなくなるわけです。それが、君たちは1.負け癖がついている、2.負けに甘んじている、3.負けても何とも思っていない、練習をいい加減にやっているからそうなる(負ける)のだ、それって良くないでしょ、やっぱり勝たないと!ということになってしまうのです。しかしそれはちょっと違うのではないでしょうか。練習をいい加減にやっているからそうなるのではなく、勝ち負けという結果に基準があるから子どもがそうなってしまっているのです。練習に身が入らなくなってしまうのです。焦点が「勝ち負け」にあるからなのです。自分でコントロールできない他者との比較を焦点にするのではなく、昨日の自分より、今日の自分がいかに成長したかに焦点を合わせてほしいのです。

 心理学者のバンデューラは、人がある行動を起こそうとするとき、その行動を自分がどの程度うまく行えそうか、という予測の程度によって、その後の行動の生起は左右される。つまり「自分にはここまでできる」という思いが行動を引き起こすのであり、その思いのことを“自己効力感(Self-sfficacy)”と呼んだ。
つまり、ある課題を与えられたとき、自己効力感の高い人は「よし、やってみよう」と思うことができ、その後の行動につながる。一方、自己効力感の低い人は「その課題は自分にはできないかもしれない」と尻込みする傾向があり、その後の行動にはつながらないこととなる。(http://health.goo.ne.jp/mental/yougo/018.html)

 練習に身が入らなくなったのは結果主義の弊害による、「どうせ負けちゃうし~」といった自己効力感の低下なのです。

 野球でいえば、エラーをしたという結果ばかりに焦点がくると、自己効力感が下がり、次にゴロが飛んできたときに、尻込みをしてしまうのです。
「よっしゃ、オレのとこにきた!」と思う子と、「げっ、きた!」と思ってしまう子、どちらが再びエラーをしてしまうでしょうか?
一瞬ひるむ事によって、筋肉はこわばり、関節の滑らかな動きは阻害されます。練習でできていたことができなくなり、失敗が失敗を呼ぶ悪循環となります。

 自己効力感を高めるには、成功体験・達成体験の積み重ねが必要です。スモールステップによる「できた」「できた」「できた」の繰り返しが自信につながるのです。
「勝利」「勝つ」ことも成功体験といえるかもしれません。しかし勝ち続けることは、ほぼ不可能なことです。そして「勝ち」という結果を見てしまうことは、先ほど出てきたアンダーマイニング現象に代表されるいくつかの弊害があるのです。

 勝たないほうが良いといっているのではありません。

「 勝ちたい勝ちたい」が勝ちから見放されるのです。
「エラーをするな!」がエラーを呼ぶのです。
「フォアボールを出すな!」がフォアボールを呼ぶのです。
「ボール球を振るな!」がボール球に手を出してしまうのです。
結果主義・外的価値観(外発的動機づけ)・能力主義が悪循環を生み出しているのです。

 過程主義・内的価値観(内発的動機づけ)・努力主義が強いチームを作るのです。

 子どもの思考をそのように持っていけると良いのではないでしょうか?

 子どもと一緒に白球を追いかけ、勝った!負けた!と一喜一憂する。終わった後、皆で酒を酌み交わし、どうだった、こうだった。家に帰り、泣き笑い。指導者として、親としてこれほどの贅沢、素晴らしいこと、他にありましょうか?スポーツって本当に素敵なものです。ただ、ここで勝ちが大好きな子どもを、大人、指導者としてちょっと俯瞰して見てみませんか。結果にこだわらず、努力したことを褒めてやってください。一段階段を上がったことを褒めてやってください。過程を大事にしてください。勝つことは目標であって目的ではありません。
甲子園出場が全てではありません。甲子園出場目指して努力したことが大切なのです。

 最後に
「僕はいつも一生懸命プレーしていますが、今日は良い結果が出なかった。でも、だからといって後悔もしていないし、恥ずかしいとも思っていません。なぜなら、できる限りの努力をしたからです。(by イチロー)

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